このブログと管理者について

---このブログについて---

元々は「獣医さんの電子工作とパソコン研究室」というサイトを開いていましたが、仕事が忙しくなるにつれて、サイトの更新もままならなくなりました。
ホームページ作成ツールも無くなるこの時代に、ブログへと移動してきました。


---管理者の横顔---

子供の頃から「部品のついている基板を見ているだけで、なんだかわくわくしてくる」 人間です。
 私事ですが、物心ついたときから無線に興味があり、紙箱に無線機の絵を書いて遊んでいたり、真空管のテレビを分解していたことを良く覚えています。
小学5年でアマチュア無線の免許を取りました(JJ1KOK)、当時は小学生が珍しかったです。試験会場は大人ばかりでしたし漢字も読めずに良く受かったと思います。

 Uコン、エンヤの09エンジンだったと思います、子どもたちでグランドに集まっては飛ばし落とし修理して飛ばすの繰り返しでした。

 ラジコンもかなり一生懸命やりました。タミヤから電動のポルシェが発売になった時期です。最初は電池でしたね。
エンジンのバギーを走らせたり、飛行機も何機か作りました。
双葉の4chのプロポが高かったことを思い出しますね。

 中学生の頃BCLにはまって、SONYスカイセンサー5900がどうしても欲しくて、親に頼み込んで買ってもらった覚えがあります。どちらかというと日本国内の中波局のベリカードがたくさんあったような気がします。 

 小、中学生の時の愛読紙は「初歩のラジオ」でした。「ラジオの製作」「模型とラジオ」なども読みました。その頃、訳のわからないまま「トランジスタ技術」も購入したこともありました。今はラジオ少年向けの雑誌がないみたいで残念です。(古雑誌として処分しなければ・・・)

 この頃からテレビゲームというものが出現しパソコンに興味をもつようになり(NECのTK-80がキットで発売された頃です) 高校時代、東芝パソピアを購入、AY-3-8910というサウンドICの外部インターフェースを作り、アセンブラでプログラミングして音が出た時の感動は今でも覚えています。 この時、PC-8001を購入するか、パソピアを購入するか悩んだのですが、コストパフォーマンスの良いパソピアを選んでしまいました。実感したのは「多勢に無勢」ということでした。
 大学時代にはPC9801VM2を購入、PC-VANでのパソコン通信をするため300ボーのモデムを自作して、目で追える速さの通信をしていたことも・・・。そうそう、RTTYの受信用デコーダーボードも作りました。 
 
 パソコンのプログラミングもN88-BASIC(PC9801VM2)時代から数多くこなしてきました。Lattice-CでCコンパイラに挫折し、その後はQuick Basicへ移行、現在ではVisualBasic、VBAのプログラミングと、BASIC一本で進んできました。おかげで、仕事にもたいへん役立ち、病院内のPCにも自作のプログラムが数多く走っています。AccessのVBAは、業務に利用していますが、本当に何でも出来てしまうので、たいへん重宝しています。
しかし、このプログラミングのシステムを組み立ててきた人たちは、本当にすごいですね。
 
 いつもあれこれ考えているのですが、時間がなくて実践できていないものがたくさんあります。ふとしたきっかけで実行するものもあれば、結局準備した部品などが使われず眠っているものが多々あります。皆さんはいかがですか?
 
年齢とともに、趣味の世界の進行スピードも鈍くなり、最近では寂しいことに製作をしていません・・・。

昭和39年 秩父市生まれ
 電話級無線技師免許
 放射線管理主任免許
 4級船舶免許
 獣医師免許
 SAJスキー1級 など

所属団体
 日本獣医師会
 秩父青年会議所OB会
 秩父商工会議所・青年部
 秩父ロータリークラブ など



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